横井庄一のドキュメントが 『ザ!世界仰天ニュース』放送 小野田寛郎と並ぶラスト・サムライ!




1945年太平洋戦争終結、残留日本兵としてアメリカ・グアム島で28年孤独に生きたサムライ”横井庄一”さんのドキュメント『グアムでたった一人で生活スペシャル!元日本兵、横井庄一28年のグアム物語!』が日テレ『ザ!世界仰天ニュース』で本日2014年8月13日(水)夜9時~9時54分放送されます。

グアムでたった一人で生活スペシャル!元日本兵、横井庄一28年のグアム物語!

グアムでたった一人で生活スペシャル!元日本兵、横井庄一28年のグアム物語!
太平洋戦争まっただ中の1944年3月。アメリカ軍は日本本土空襲の拠点として、日本の占領下にあったグアム・サイパンを狙っていたが、日本はそれを阻止するため2万を越える兵隊をグアム島に送り込んだ。その中に横井庄一はいた。島に来てわずか3か月後、アメリカ軍の徹底的な攻撃が始まり、9割近い戦死者を出した日本軍。横井の隊は司令部との連絡が絶たれ、孤立した。
だが横井は日本が必ず勝つと信じ、ジャングルに身を潜めながら援軍が来るのを待つ事にした。
しかしここから終戦も知らぬまま、辛く長い28年間の孤独な闘いが始まることに…!

引用元:http://www.ntv.co.jp/gyoten/yokoku/index.html


横井庄一さんについて

横井庄一
出典:http://mussyusiawase.blog.so-net.ne.jp/2009-09-22

横井庄一は、日本の陸軍軍人、評論家。最終階級は陸軍軍曹、栄典は勲七等青色桐葉章。 太平洋戦争終結から28年目、アメリカ領グアム島で地元の猟師に発見された残留日本兵として知られる。

1935年(昭和10年)、満20歳のため徴兵検査を受け第一補充兵役(補充兵)編入。のちに召集され帝国陸軍に入営、4年間の軍務の後に洋服の仕立て屋を開く。

1941年(昭和16年)には再召集され、満州を経て1944年(昭和19年)からはグアム島の歩兵第38連隊に陸軍伍長として配属。同年7月にはアメリカ軍が上陸し(グアムの戦い)、8月に同島で戦死したとされ戦死公報が届けられた。1965年(昭和40年)10月30日の第19回戦没者叙勲では、戦没者として、戦前受けていた勲八等から勲七等青色桐葉章への昇叙者として官報掲載されている。

当時、グアム守備隊壊滅後も生き残った一部の将兵は山中に撤退しゲリラ戦を行っていたが、1945年(昭和20年)のポツダム宣言受諾によって日本軍の無条件降伏が発令されたことは知らされなかった。横井らはジャングルや竹藪に自ら作った地下壕などで生活、グアム派遣から約28年後の1972年(昭和47年)1月24日、エビやウナギをとるためにウケをしかけに行ったところ、現地の行方不明者を捜す村人たちに遭遇、同年2月2日に満57歳で日本に帰還した(なお、撤退当初から横井には2人の戦友が居たが、発見の約8年前に死亡している)。

軍事教育を受け育った横井は「生きて本土へは戻らぬ決意」で出かけた記憶がしっかりとあったため、帰国の際、羽田空港で発した第一声は「恥ずかしいけれど、帰って参りました」であった。この言葉をとらえた「恥ずかしながら帰って参りました」がその年の流行語となった。同年2月2日14時から60分間にわたりNHKで放送された報道特別番組『横井庄一さん帰る』は、41.2%(ビデオリサーチ・関東地区調べ)の視聴率を記録した。

参考&引用元:Wikipedia -横井庄一


動画


横井庄一さんを題材にしたお笑い

とびだせものまね大作戦でのものまね
1981年にフジテレビで放送されていたあのねのね司会の『とびだせものまね大作戦』で素人さんが横井庄一さんのものまねをしていました。番組には横井庄一さんも登場したことがあり、「小野さんの混ざっている」と言っていたことを覚えています。あの番組をもう一度見たいのですが、youtubeにはアップされていませんね。


太平洋戦争のラスト・サムライ

横井庄一さん帰還後、戦争終結から29年目にしてフィリピン・ルバング島から帰還を果した小野田寛郎さん。横井庄一さんは1997年9月22日に満82歳で、小野田寛郎は今年2014年1月16日の満91歳で亡くなられています。この二人は太平洋戦争のラスト・サムライとして今でも祀られています。


スポンサードリンク(PC)





関連記事

スポンサードリンク(PC)
AUSDOM M04S Buletoothヘッドホン キャンペーン





「映画☆関連」の人気記事

このページの先頭へ